9年間の空白

前回最後に書いたのが、2011年の1月でした。

その2か月後の3月11日に東日本大震災が起こり、その日を境に人生のあり方が大きく変わりました。あの日、日本にいてあの揺れを体験した全員の人間が、多かれ少なかれ生き方が変わったと私は感じています。そういう意味では、アメリカ人にとっての911と同じかもしれません。

911の時は、業務渡航の仕事をしていることもあり、自分も出張や個人旅行で海外に行くことから、それなりの衝撃はありました。あれは個人の心というよりは、世界のありようが変わった出来事で、日本にいる私たちには、その不愉快なインパクトはゆるやかに届き続けています。衝撃の強さで言えば、もっと若くて心が柔らかだった頃に起きた日航ジャンボ墜落事故のほうが、いまでも個人的に関心を持って理解したいと思う出来事です。

そんなこんなで、おちゃらけた内容のこのブログも続けることにその春から意味が見いだせなくなってしまいました。その当時ハマっていたランニングも少しの間続けてみたものの、全く楽しくなくなり、今でもその時よく走っていた近所の公園に行くと、当時を思い出して気持ちがふさがります。

それから何とか日本で生きる自分のありようを建て直し、311以前と同じように人生を楽しめるかもしれないと思った時、長い間お友達だった、猫のみかんをなくしました。15歳にあと9日でした。だんだんと弱っていくみかんを見て、とにかく今を楽しもう、一緒にいられる今、とてもみかんのことが大好きなんだということを伝えようとしました。2016年10月4日、私が帰ってくるのを待ってくれて、眠るように旅立った、大切な猫、みかん。いまでもその後にやってきた空洞のような気持ちを思い出したくない。同じころ、家族が病気を発症し、毎日起きて日常生活を続けるのが苦しくてしかたなかった。

その後、猫のいない家に帰ることがひどくつらくなってきました。2か月後、猫の譲渡会に行くまでに心が整理できた気がしたのだけど、自分でもよくわからなくなった。猫と暮らしたいのか、みかんの代わりを求めているだけなのか。しかしどちらにしても、寄る辺ない猫に家を与えることができれば、私の動機などどうでも良いのではないか。と思いました。

数か所の譲渡会を回り、みかんと全然似ていないのに、何やら話しかけてきた三毛猫を引き取りたいと思いました。それが12月末。その三毛猫「まる」が、家に来た翌日てんかんの発作を起こしました。どんどん発作の感覚が短くなり、家の近くの獣医さんでは対処できず、保護主さんに相談すると、彼女が治療のため引き取っていきました。

保護主さんは、確固たる信念を持った尊敬に値する女性で、動物病院や高度な治療法を持つ大学病院につながりがあり、猫1匹の飼育経験しかない私たちや、猫のことをあまりよく知らない獣医さんに託すわけにはいかないと考えていました。まるがてんかんの発作を起こしながら、車で引き取られていったとき、ちゃんとみかんの死と向き合わないまま、新しい猫を迎えようとした自分に罰が下ったのだと私は思いました。

その前からだと思いますが、旅行しても全く楽しいと思えなくなりました。年齢相応にビジネスクラスやデラックスホテルを利用するようになっても、10年前までの、窮屈なエコノミークラスと安宿よりも楽しくないと感じます。年齢か、それとも旅行に慣れてしまったのか。悲しいことです。会社はその間に、東日本の地震の時には倒壊すると思われた昭和なビルからキラキラの新社屋に建てかわり、高層階から東京駅に出入りする新幹線を見ながら、いったい自分は何者でどこに行こうとしているのか混乱することがありました。そんな混乱は今までの人生でとっくに経験してなきゃいけないはずだぜ、と情けなくなりました。

それが東日本大震災から今までの私の忘備録です。ちなみに、てんかんを起こした猫のまるは、保護主さんの下での治療がうまくいき、2017年8月に家に再び迎えられるようになりました。まると一緒に、仲良しの猫「いの」も引き取りました。突然2匹の猫と同居することになったこの時は、久しぶりにうれしいという感情が戻ってきたと感じました。みかんのことだけを一生思って、もう二度と猫は飼わないという選択も考えたのだけれど、私はもっと猫を幸せにしたいのだと考えました。私は猫を幸せにする力がある、と思いました。

家族の病気も、いまでも私は奇跡だと思っているのですが、治癒しました。もう二度と話をすることができないと諦めていた人間と、いま、普通に話ができることが本当に幸運だと思います。この幸せがあるならば、旅行で楽しくないことなんて、まあ我慢できるかと思います。

今後、このブログは、自分の読んだ本や映画や音楽やライブの覚書として活かしていこうかと考えています。

自分のために、いつか大地震で行方不明になったとしても、デジタル上で生きた証が残るならまあいいか。