11Mar2011(1)

東日本大震災が起こった日の朝、私は赤坂見附に研修に来ていました。

その年の4月から始まる2A精算についての講義を受けるため、INFINIというGDSの会社にいました。とても寒い日で、講義も退屈で、質疑応答の時にやる気がある男性が2A精算の理不尽さについて抗議していました。気持ちはわかるけど、それはGDSの会社じゃなく、キャリアさんに言ってくれないかな、と思っていました。とてもやりきれなくて、でも退屈な時間でした。

午前中で講義は終わり、見附の駅のクリスピークリームドーナツで誰も並んでなかったので、うっかりちっこいドーナツのセットを買ってしまいました。ランチ後に同僚と一緒に食べよう。午後の部は、その同僚が行く番でした。まだ携帯メールの時代で、発信しては確認、受信してはまた確認、それでもなんて便利、と思っていました。

お昼、確かタイ料理を食べて、金曜日だったので、でも年度末だったのでそれなりに渡航者が少なく、ファイナルは軽めで定時にはあがれる予定でした。当時入っていたのは、自社ビルながら昭和30年代に建てられたと思しき2つのビルを無理やりつないだもので、エレベーターには、エレベーターガールの操作盤があり、電話交換のお部屋、無理やり和式を洋式に改造したトイレ(しかも女子トイレの絶対数が少ない)などもありました。つまり、強めな地震があると倒壊の恐れがありそうなボロいビルでした。

最初の揺れは普通でした。前日に東北地方で少し大きめの地震があったので、その余震だと思ったくらいです。しかしあのとき最も恐ろしかったのは揺れではなく、低く絶え間なく地面がうなる音でした。何か普通ではない、邪悪なものがやってくる音だと思いました。