海外で生き続ける日本語

海外赴任の話で思い出しましたが、海外在住の日本人の中には、すごい日本語を使う人がいます。


良く、昭和30年代に海外に渡った日本人女性からは、現在の日本では消滅しつつある、美しくて奥ゆかしい日本語が聞けると聞きます。小津の映画に出てくる、たおやかなゆったりしたアレですね。そういえば、「赤毛のアン」の村岡花子さんの訳にも、同じような空気を感じます。小学生の頃でさえ、そのまどろっこしい日本語には違和感を覚えたものなので、かなり前に訳されたものなのでしょう。その日本語が、本の魅力を削ぐということは全くないのですが。


中学の時に、ベネズエラから転校してきた子がいました。アダ名は当然のごとく「ベネ」。彼は小学校の頃までは日本にいたので、日本の記憶が微妙な古さ。流行の曲を言わせてみれば、4、5年前の、それほど大ヒットはしなかったけれど、まあ小ヒットだったくらいの曲ばかり知っていて、
「いつのだよっ!」
ってな明星のソングブックを学校に持ってきていました。


最近、ちょうど赴任が終わって本社に戻ってきたおじさんがいます。その人から次々繰り出されるオヤジギャグに、その課の人たちは困惑していて、ものすごく浮いているという噂。
それは個人のキャラというよりは、
「こんな、『ザ・日本』みたいな会社だから、海外帰りとはなじめないだけなのでは」
と、私なりに同情していました。


しかし、昨日、
「いや〜暑いね〜。ちかれたび〜
と言って私のいる課に来た時には、その場にいた全員が凍り付いておりました。私は電話中だったのですが、私に用事があるらしく、隣にあった椅子に、
よっこいしょういち
と言って腰を下ろした時には、
「ひー。このまま終業時間まで電話が切れないでいてほしい」
と思いましたわ。


なのに電話は1分もたたないうちに終わってしまい、その後、航空券の予約をするときにも、
「通路側希望でしたっけ?」
の問いに、
「窓側だっちゅーの
なんて、微妙に昔の流行語大賞の言葉を使われたりしました。
どこの会社でも、浮くわ、この人。