犯罪捜査に一石を投じる

社会保険庁の、「収納率を上げるために、保険料を免除した」っていう問題を見ていると、
「なんでまた、最初に思いついた収納率アップの方法が、『免除』なのかねえ」
って情けなくなってしまいます。普通の企業だったら、まずそれは最後に考える手段でしょうが。


この間のニュースで、理科の授業中に、「こうすれば赤ちゃんを殺せる」という教師の発言があったと問題になっていました。なんでも物を押すと変形するということを教えていて、例として赤ちゃんをあげたらしいのですが、
「『物が変形するとは・・・』で最初に思いついた説明がそれかよっ」
って思ってしまいます。いつもそんなことばかり考えていて、とうとう発言するに至った、この人の心の動きがおっかないわ。


それで思い出したのですが、小学校3年生の時に、長沢先生というとっても人気がある若い男の先生が担任でした。話は面白いし、スポーツマンで、クラスのみんなは先生の事を誇りに思っていました。
しかし長沢先生、授業の途中でウケを狙うためにか、明らかにウソの説明をしたりするのです。
私がそのとき、
「そりゃウソでしょ」
と、思い、さらに一年に2,3度は
「ありゃウソだったな」
と思い出すウソがありました。それは、
「目というのはカメラと似ていて、網膜はカメラで言えばフィルムのような役割をする」
とうものです。ここまでは真実なのです。
しかし、よせばいいのに、
「殺された人の網膜を調べてみたら、犯人が写っていたという事件もあった」
というのは余計なウソ。
だと最近まで思っていました。


しかし、この間松本清張の短編集を読んでいると、「網膜の殺人」とかいう名前の、まさにそういう殺人事件が描かれており、
「・・・長沢先生、これを読んだな」
と、思いました。
理論的には可能な話のような気もするのですが、今まで未解決の殺人事件で、網膜の像から犯人を割り出せたという話を聞かないので、たぶん21世紀の日本ではまだ犯罪捜査に利用されていないのでしょう。世田谷の一家4人殺人事件や、栃木の女児殺人事件など、それを使って一日も早く犯人を割り出して欲しいです。