いつまでも覚えている恐怖

私は子供の頃から、とんだ怖がりの臆病者でした。いまだに「バチが当たる」的な話には弱く、「今日は用事があるので」と何も用事がない日に、会社の誘いを断るようなちっちゃな嘘ですら、「あ〜閻魔様が〜」と思います。

なのに、私の姉は怖いものが大好き。小学生の頃、夏休みに、祖父母の家に泊まりに行った時などの、彼女の旅のお供は楳図かずお。お盆の時期など、ただでさえ「地獄の釜の蓋が開く」なんていわれてビビっている時期に、仏壇のある古い家で読む恐怖漫画は、いつもの数倍恐ろしい。

また、なぜかそういう時には、テレビの映画で恐怖映画をやっていて、「オーメン」や「エクソシスト」、それに聞いたこともないようなアメリカのB級ホラーのおかげで、幾夜眠れぬ夜を過ごしたか。今でも、絶対にそういうことを考えちゃいけない、大切な日の前日などに、「そういえばダミアンの友達はあの時・・・ギャー!」なんてわざわざ回想したりしてしまうもの。

じゃ読んだり見たりしなきゃいいのに、怖いもの見たさって、こういうことを言うんでしょう。「洗礼」とか「恐怖」とか読んでしまいました。その後は「恐怖」という文字すら恐ろしく、楳図かずおが「まことちゃん」なんて、一般受けするキャラクターを描いたりしても、
「アンタには騙されないわよ」
と、思っていました。

他には「恐怖新聞」なども恐ろしかった。これは歯医者さんの待合室にあったのですが、ただでさえ怖い歯医者さんで、何を好き好んで恐怖漫画を読まなきゃいけないのか、自分でも不可解。治療が終わった後の足取りはいつもどんより重かった。

恐怖新聞」は、真夜中過ぎに届けられ、届けられた者の寿命が100日縮まるという恐ろしい新聞。そして投げ込まれるたびに、恐ろしい心霊現象が・・・キャー!ああもうこれ以上は恐ろしくて書けません。いまだに新聞受けを見るときは、ドキドキするしな。