有名人との微かなつながり

中学の時に私と同じように千葉から名古屋に転校してきた同級生は、高校に入学後、音楽をやると言っていきなり中退して東京に行ってしまった。その後全く音信不通だったのだが、5年ほど前、何気なく見たCDのジャケットに彼らしき人の姿が。名前は岡雄三。そのCDは、「踊るポンポコリン」の近藤房之介が結成した「The Deepest Pockets」というユニットのもの。そこでベーシストとして参加しており、どうやら彼は夢をかなえたようだった。

他にもSMAPの「FLY」というシングルの編曲をしたり、小柳ゆきのツアーメンバーをしたりして、気をつけて見ていれば色々なアーチスト達と仕事をしている。10代の頃の夢を叶えるとは、なかなかできない事だけに尊敬。しかし、当時は確かギタリストで、音楽の授業では「Here comes the sun」をギターで弾いていたはず。中3のくせに、アル・ディ・メオラの「Electric Rendezvous」なんて渋いギターアルバムを聴いていたり、当時から只者ではなかったが、ギターからベースへの転向は、ちと意外。

彼との思い出といえば、RAINBOWの「DOWN TO EARTH」というアルバムを借りて、「ALL NIGHT LONG」という曲の歌詞を読ませてもらった時に、「これは世にも下らない歌詞だな」と子供心に思ったことか。あとはSTYXというバンドのフィルムコンサートを友達4人で見に行ったこともある。コンサート終了後にご飯を食べようとしたが、中学生が入れるような手ごろな店がなく、変な深夜喫茶みたいな所で激マズなピザを食べたこともある。11時過ぎに帰宅して、親から大目玉食ったなあ。ただのフィルムコンサートなのに。

書いているうちに思い出した。小学生の時の親友が、ベトナム語の翻訳者・通訳となり、テレビや映画の字幕を一手に引き受けている。秋葉亜子さんという女性で、ベトナム関係のイベントやドキュメンタリーにはよく名前が出ている。彼女が東京外大にいた頃には文通していて、「亜子の習っているインドネシア語」と書いて送ったら、「インドシナ語よ!」と訂正されたのが今でも申し訳ない。

こうして私が自慢しているように、彼らにもいつか私の事を自慢してほしいもの。しかし自慢できる要素は特にないな。せめて不名誉なことでテレビに名前が出たりして、「キャッ、私この子と同級生だったわ」なんて言われないように努力するのが精一杯のところ。