学歴社会の落とし穴

今日が5月5日なら、明日は5月6日かもしれない。
という事は、明日から会社か。

社会人になって、これは良かったな、としみじみ思うことのひとつに、「予習・復習しなくて良い」という事がある。大学の時は外語学部で、どの授業も予習・復習をしていなければ付いて行けなかったし、たまに何の用意もしない時に限って当てられた。それなのに、そんなに努力しても、そのクラスでは2単位しかもらえない。他の、経済学部や法学部などでは、大教室でざっくりやるような授業でも4単位もらえていたらしいのに。今でも、たまに大学の単位が足りなくて卒業できない夢を何度か見るくらい、大学時代はよく勉強したもの。

しかし、その大学時代の勉強など、実社会ではなーんにも役にたたない。英語だって、社会人になって泣きながら覚えた時の方がよっぽど使える。強いて言えば、教養課程で出ていた一般教養の授業が役に立っているかもな。「差別と教育」とか、「ヨーロッパの思想」とか、そんな学問があることも知らなかったような事。教科書が5000円くらいしたけど。

でも実際社会に出てみたら、言われているほど学歴は関係なかった。ある東京六大学の出身者とは、今まで5人ほどと一緒に仕事をしたが、全員自分勝手で協調性のない人達だった。あれは学校の伝統?ある男性は、他の旅行会社の接客方法の調査に二人で出たとき、「嫌でしょうけど、僕達二人は夫婦ということで話を進めますよ」と言ってきた。別に仕事だし全然気にしていなかったが、その調査対象の旅行カウンター店舗に着くまでに、少なくとも5回は同じ事を言われた。何?何なの?夫婦と言うことにして嫌なのは、もしかしてアンタの方なわけ?

また、弟もその大学の出身なのだが、結婚式の時に大学時代の親友が、「僕らの学部は浪人生が多く、また留年生も全体の三分の二はいます!○○君もその一人です!!」と高らかに宣言してしまい、その前に司会者がやってくれた「新郎紹介」の美辞麗句が全てうそ臭く思えたのも、失敗だったねえ。