Bonoの誕生日とNETFLIX

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60Songs That Saved My Life (Bono) 


5月10日はU2のBONOの誕生日でした。60歳です。

 

本日U2.comからメールで

60 Songs That Saved My Life

というプレイリストが送られてきました。

ボノが人生60年の中で救われたと感じた曲が60曲詰め込まれています。さっそくダウンロードして、お昼のジョギング中に聞いてみました。

自分の好きなアーチストだから当たり前だけど、ビリー・アイリッシュからシナトラまで新旧取り混ぜて知っている曲、好きな曲ばかり。こっちこそ救われたぜと思いました。

 

NETFLIXで「ストレンジャーシングス」を見始めました。

全部見ようかどうか迷っていたシーズン1のエピソード2で、失踪する男の子ウィルとその兄ジョナサンがクラッシュ(「Should I Stay or Should I Go」)を聞いていました。設定が80年代なもので。

そしてジョナサン(推定17歳)が、ジョイ・ディヴィジョン、ボウイ、テレビジョン、スミスまで網羅したカセットテープを弟のウィル(推定13歳)に渡し

「これは完全におまえの人生を変える」

とか言ってるんです。お前いいやつだな!ジョナサン!

その瞬間からこのシリーズを全部見ようと思いました。

 

エピソードごとのエンドロール曲でもエコバニが出てきたり、劇中にスコーピオンズが出たりと80年代な選曲。ジョナサンが気になるうえにはっきりしたアメリカ英語なので、字幕なしでもなかなか聞き取れます。それが無理でも英語字幕でも理解できます。

 

あとBBCシャーロック・ホームズ(ベネディクト・カンバーバッチ版)も見始めたのですが、イギリス英語、さらに肝心な推理部分の超早口に心が折れ、字幕なしではまったく筋が負えなくなりました。日本語字幕で漫然と見ています。しかし筋と関係ないあいづちの語彙は増えましたので、今後あいづちを打つのが楽しみです(あいづち以外はいさぎよく沈黙を守ります)。

 

翻訳コロナウィルス

新型コロナウィルスにようやく「COVID-19」という名前がついたのは2月中旬でした。

これは浸透しないな

と思いました。よその国ではどうかわかりませんが、日本人としてはVが入った時点でもう発音できる気がしません。

 

まだ欧米がプリンセスダイアモンドの対処について批判する余裕があったころ、他の国の発症者数を知りたくてCNNやNYTを見てみました。

最初は英語を読んでいたのですが、途中で

やってられるか!

と思い直し翻訳にかけてみました。

 

すると思いのほか欧米でもCOVID19の名称は浸透しておらず、

「小説コロナウイルス

が幅をきかせていました。

小説化決定か・・・さきに映画化ではなく・・・

と思ってもよかったのですが、新型を意味するNOVELを小説と訳したようです。

それでもコロナウイルスをちゃんとした1個の名詞として訳しているのは大したものだと思いました。

 

何度かいろいろな国の新聞を翻訳にかけてみたのですが、英語から日本語への翻訳よりもドイツ語から日本語への翻訳の方がなめらかでした。なめらかというだけで、内容が正しいかどうかはちょっとわかりませんが。

 

昔、第2外国語を勉強していたとき、

ドイツ語の名詞はすべて大文字

というのが本当にありがたかったことを思い出しました。

 

在宅勤務がはかどらない

本格的な在宅勤務が始まってから約1ヶ月。

 

キーボードがこれでもか、というほど使いづらい。

 テレワーク用のラップトップなんて年に数回しか持ち帰らないので

かなと英字の入力方法を見つけるのに小一時間かかってしまったぜ。

 

しかもWindows7なので、会社のポータルサイトはセキュリティがかかって見られず。

会社の最新情報は出社している同僚からチャットやメールで聞くしかないのですが

よく考えたら、入社式が延期になったとか、4月の人事異動とか、そんなに聞きたい情報でもなかった。

強いて言えば次の出勤日の社員食堂のメニューが知りたいくらい。もしまだクローズしていなければ。

 

家でできることと言えば、プレゼンの資料作りとか、昨年度の実績を表にするだとか、新しいシステムのマニュアル作りとか、超つまんない仕事ばかり。

手を止めて考え事するたび寝ている猫をなでることの繰り返しでぜんぜんはかどらない。

 

しかしなんといっても出張者がゼロなので、旅行の仕事はできません。たまに駐在員の帰国手配をするときに

EOTが押せるって素晴らしい!

Qが来てる!TL早すぎるけどうれしい!

 とか思います。

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 かn

 

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11Mar2011(1)

東日本大震災が起こった日の朝、私は赤坂見附に研修に来ていました。

その年の4月から始まる2A精算についての講義を受けるため、INFINIというGDSの会社にいました。とても寒い日で、講義も退屈で、質疑応答の時にやる気がある男性が2A精算の理不尽さについて抗議していました。気持ちはわかるけど、それはGDSの会社じゃなく、キャリアさんに言ってくれないかな、と思っていました。とてもやりきれなくて、でも退屈な時間でした。

午前中で講義は終わり、見附の駅のクリスピークリームドーナツで誰も並んでなかったので、うっかりちっこいドーナツのセットを買ってしまいました。ランチ後に同僚と一緒に食べよう。午後の部は、その同僚が行く番でした。まだ携帯メールの時代で、発信しては確認、受信してはまた確認、それでもなんて便利、と思っていました。

お昼、確かタイ料理を食べて、金曜日だったので、でも年度末だったのでそれなりに渡航者が少なく、ファイナルは軽めで定時にはあがれる予定でした。当時入っていたのは、自社ビルながら昭和30年代に建てられたと思しき2つのビルを無理やりつないだもので、エレベーターには、エレベーターガールの操作盤があり、電話交換のお部屋、無理やり和式を洋式に改造したトイレ(しかも女子トイレの絶対数が少ない)などもありました。つまり、強めな地震があると倒壊の恐れがありそうなボロいビルでした。

最初の揺れは普通でした。前日に東北地方で少し大きめの地震があったので、その余震だと思ったくらいです。しかしあのとき最も恐ろしかったのは揺れではなく、低く絶え間なく地面がうなる音でした。何か普通ではない、邪悪なものがやってくる音だと思いました。

 

 

 

9年間の空白

前回最後に書いたのが、2011年の1月でした。

その2か月後の3月11日に東日本大震災が起こり、その日を境に人生のあり方が大きく変わりました。あの日、日本にいてあの揺れを体験した全員の人間が、多かれ少なかれ生き方が変わったと私は感じています。そういう意味では、アメリカ人にとっての911と同じかもしれません。

911の時は、業務渡航の仕事をしていることもあり、自分も出張や個人旅行で海外に行くことから、それなりの衝撃はありました。あれは個人の心というよりは、世界のありようが変わった出来事で、日本にいる私たちには、その不愉快なインパクトはゆるやかに届き続けています。衝撃の強さで言えば、もっと若くて心が柔らかだった頃に起きた日航ジャンボ墜落事故のほうが、いまでも個人的に関心を持って理解したいと思う出来事です。

そんなこんなで、おちゃらけた内容のこのブログも続けることにその春から意味が見いだせなくなってしまいました。その当時ハマっていたランニングも少しの間続けてみたものの、全く楽しくなくなり、今でもその時よく走っていた近所の公園に行くと、当時を思い出して気持ちがふさがります。

それから何とか日本で生きる自分のありようを建て直し、311以前と同じように人生を楽しめるかもしれないと思った時、長い間お友達だった、猫のみかんをなくしました。15歳にあと9日でした。だんだんと弱っていくみかんを見て、とにかく今を楽しもう、一緒にいられる今、とてもみかんのことが大好きなんだということを伝えようとしました。2016年10月4日、私が帰ってくるのを待ってくれて、眠るように旅立った、大切な猫、みかん。いまでもその後にやってきた空洞のような気持ちを思い出したくない。同じころ、家族が病気を発症し、毎日起きて日常生活を続けるのが苦しくてしかたなかった。

その後、猫のいない家に帰ることがひどくつらくなってきました。2か月後、猫の譲渡会に行くまでに心が整理できた気がしたのだけど、自分でもよくわからなくなった。猫と暮らしたいのか、みかんの代わりを求めているだけなのか。しかしどちらにしても、寄る辺ない猫に家を与えることができれば、私の動機などどうでも良いのではないか。と思いました。

数か所の譲渡会を回り、みかんと全然似ていないのに、何やら話しかけてきた三毛猫を引き取りたいと思いました。それが12月末。その三毛猫「まる」が、家に来た翌日てんかんの発作を起こしました。どんどん発作の感覚が短くなり、家の近くの獣医さんでは対処できず、保護主さんに相談すると、彼女が治療のため引き取っていきました。

保護主さんは、確固たる信念を持った尊敬に値する女性で、動物病院や高度な治療法を持つ大学病院につながりがあり、猫1匹の飼育経験しかない私たちや、猫のことをあまりよく知らない獣医さんに託すわけにはいかないと考えていました。まるがてんかんの発作を起こしながら、車で引き取られていったとき、ちゃんとみかんの死と向き合わないまま、新しい猫を迎えようとした自分に罰が下ったのだと私は思いました。

その前からだと思いますが、旅行しても全く楽しいと思えなくなりました。年齢相応にビジネスクラスやデラックスホテルを利用するようになっても、10年前までの、窮屈なエコノミークラスと安宿よりも楽しくないと感じます。年齢か、それとも旅行に慣れてしまったのか。悲しいことです。会社はその間に、東日本の地震の時には倒壊すると思われた昭和なビルからキラキラの新社屋に建てかわり、高層階から東京駅に出入りする新幹線を見ながら、いったい自分は何者でどこに行こうとしているのか混乱することがありました。そんな混乱は今までの人生でとっくに経験してなきゃいけないはずだぜ、と情けなくなりました。

それが東日本大震災から今までの私の忘備録です。ちなみに、てんかんを起こした猫のまるは、保護主さんの下での治療がうまくいき、2017年8月に家に再び迎えられるようになりました。まると一緒に、仲良しの猫「いの」も引き取りました。突然2匹の猫と同居することになったこの時は、久しぶりにうれしいという感情が戻ってきたと感じました。みかんのことだけを一生思って、もう二度と猫は飼わないという選択も考えたのだけれど、私はもっと猫を幸せにしたいのだと考えました。私は猫を幸せにする力がある、と思いました。

家族の病気も、いまでも私は奇跡だと思っているのですが、治癒しました。もう二度と話をすることができないと諦めていた人間と、いま、普通に話ができることが本当に幸運だと思います。この幸せがあるならば、旅行で楽しくないことなんて、まあ我慢できるかと思います。

今後、このブログは、自分の読んだ本や映画や音楽やライブの覚書として活かしていこうかと考えています。

自分のために、いつか大地震で行方不明になったとしても、デジタル上で生きた証が残るならまあいいか。

音楽 Death Cab for Cutie

Amazonプレミアの会員になって、echoのショボいスピーカーだけど、好きなジャンルの音楽がランダムにかかるのがうれしい。その中で、私が今まで知らなかったけど、自分好みのコード進行とギターを持った曲がかかっていて、「アレクサ、この曲なんて言うの?」と聞いたところ、「曲とは、音の強弱がどうのこうの・・・」と『曲』についての定義を説明されました。このやりとりを数回やってから、「この曲は誰の?」というように、「この曲」から始めなければ認識しないことがわかりました。腹立つ。

そこでわかったのは、この曲はアメリカのバンド「Death Cab for Cutie」の「Little Wanderer」という名前だということでした。調べてみると、何枚もアルバムを出していて、その時点での最新アルバムは「Kintsugi」。日本の金継ぎ技法のことです。あまりアメリカのバンドを好きになったことはないので、ワシントン州という田舎な感じが新鮮です。余談ですが、次からアレクサに「アレクサ~、デス・キャブ・フォー・キューティかけて~」と言っても一向に認識しません。「はい、わかりました。デススターのなにやらを再生します」とか「はい、わかりました。デスティニーチャイルドのなにやらを再生します」とか言ってきます。おまえは何一つわかってねえ。

仕方ないので聞き取り言語を英語に設定し、ちゃんとアレクサのLを意識して呼びかけ、「Play Death Cab for Cutie」と、おうちの中なのに英語で話しかけます。英語のアレクサは、心もち日本語のアレクサより気が強い印象。猫たちも、いつもより強気なアレクサにザワついている様子。そんなわけで、私の2018年の収穫はDeath Cab for Cutieとの出会い。来日していたけど、フジロックだったんでおばちゃんには無理。せめてサマソニなら。今の時点で一番好きなのはアルバム「Transatlanticism」。ずっと昔に別れた誰かを思い出しそうになる感じ。

 

ノロウィルスとの初遭遇

私は健康だけには、やけに自信があって、風邪気味だと思ったらホットワインでも飲んで暖かくして寝れば翌日には持ち直していることが多かったのです。


それでも、2、3年前にかかったインフルエンザのヤツにはかなわなかった。あんなに強いヤツだとは知らなくて、悪化してから飲んだタミフルもあまり効かず、寝込みながら許してくださいって思ったもん。


先月のことですが、友達の家に遊びに行きました。その子の家にはかわいい2歳児がいて、遊びに行った私たち3人は会うのをとても楽しみにしてたのです。


家に着いて、ちょいと遊んだ後お昼ご飯の時間になりました。そしたら、機嫌が良かったはずの2歳児が突然リバース。風邪気味だとは聞いていましたが、かわいそう・・・。
ママが着替えさせに別室に行ったので、私たち3人でがんばって吐いたものの片付けをしました。


あとの2人は献身的だったけど、実は私、何度も前線から離脱して部屋の隅ででえずいており、戦力としてはポンコツ


まあでも、なんとかキレイになって、薬用石鹸で手も洗い、安心。そして着替え終わった2歳児、えらく元気。カゼと言うよりは、興奮して吐いちゃった気がします。


そして2日経った月曜日、なんか胃が重い・・・実は前日の日曜日に、近所で評判だというイタリア料理屋さんに行って、明らかに食べ過ぎており、特に最後に食べたチキンのレモンソテーがダメ押しだった気がする。
ちょっと様子を見て、遅刻しようと思って寝込んでいると、突然吐き気が襲ってきて、結局吐きました。吐くなんて、二日酔いで戻した10年前以来初めて・・・。
え〜・・・2日前にあれだけのえずきを耐えたのに〜。


病院に行ったら、抗生物質と吐き気止めを与えられて、丸2日間寝込みました。


それから1週間後、一緒に遊びに行った友達からのメールに、
「先週カゼで寝込んだ」
との報告が。しかもそれを見たもう一人の友達からも、寝込んだ報告が。その2人は下痢だそうです。これは・・・確実に2歳児からうつったな。
 排泄物の処理に働きの良くなかった私ですらうつったんだから、よっぽど強いウィルスなんだわ。ってことは友達には言わなかったけど。ポンコツ戦力がバレるといけねえ。


そしてその1週間後、2歳児のママより、
「先々週はカゼで寝込んだけど、みんなは大丈夫だった?」
とのメールが。大丈夫じゃねえ!


聞けば、2歳児のパパ、翌日遊びに来た祖父母2人の全員が胃腸の調子を壊したとのことです。
気にするといけないと思って、そのママには黙ってたけど、大人7人を全滅させたウィルスについて語りたくなってカミングアウト。


でも、感染源がかわいい2歳児からだと思うと、なぜか悪い気がしない。もしこれが、会社のオッサンからだったら、寝込んでる時も気分が悪けりゃ、治ってからもムカムカするハメになるとこだったわ。


まあ、私がオッサンにうつしたとしても、
「あんのババアめ〜」
って思われるに違いない。っていうかババアって誰のことじゃい!
いかん。想像上の会話に熱くなってしまった。


全員医療機関からノロウィルスとは診断されてないけど、あれがノロウィルスの仕業だとしたら、大流行するのも無理はないって思ったわ。